大正6年~昭和4年(1917~1929) 誕生・躍進・火災・再生
● 大正6(1917)年4月1日,西新の修猷館寄宿舎を仮校舎として開校。
大正8(1919)年12月,現在地の木造新校舎に移転。
● 昭和2(1927)年6月23日,福中大火。創立10年目にして校舎焼失。
● 「福中焼くとも福中魂は焼けず」を合言葉に,逆境を跳ね返すべく,全校一丸となって復興に取り組む。
● 昭和4(1929)年4月,現在の校舎新築。11月に創立12周年記念式と併せて落成式。
福岡中学校正門
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福中創立後初の優勝。大正10年5月27日
(箱崎の相撲大会で)
左端の上から2人目,進藤一馬さん(中1回)
元福岡市長・初代同窓会長(40年間) |
福中大火の跡,正面玄関 |
校舎跡 |
大火の後,40日目に柔道の全国優勝
バラック校舎が後ろに見える |
校舎新築工事中 |
昭和5年~昭和22年(1930~1947) 文武両道・戦争・復興
● 苦難を糧として
旧制高等学校合格者 昭和3年50名 昭和4年40名 昭和5年54名
スポーツ優勝回数 昭和4年度6種目7回 昭和5年度3種目5回
● 校舎に防空用サイレン設置,制服制帽の国防色化等,戦時色増す。
国民徴用令(1939年7月発布)によリ農村・土木作業や工場動員等に従事。
● 日本全土に空襲。昭和20(1945)年6月19日,福岡大空襲。市街地の大半が焼失。在校生7名が焼死。
● 昭和22(1947)年3月15日,困苦の中で創立30周年式典。浄財を募金して図書を購入し,学校へ寄贈。
昭和5年度大活躍の剣道部
福高主催剣道大会・佐高主催全九州大会
九州医専主催剣道大会優勝
全国中等学校剣道大会・五高主催近県剣道大会準優勝 |
優勝のバスケット選手(昭和4年度)
第3回県主催競技大会優勝(賞状)
七高主催オール九州籠球大会優勝(優勝旗)
山口高商主催オール関西籠球大会優勝(楯) |
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福岡の街を襲う焼夷弾の雨(福岡大空襲) |

黒い帽子がカーキ色の戦闘帽に |
車力で千鳥橋から久原まで屎尿運搬 |
戦後復活全国大会優勝のフィフティーン
(昭和22年1月5日)
ユニフォームはバラバラでも |
駅頭に全校生徒出迎え
占領軍の許可を得て,市中パレード |
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昭和23年~昭和39年(1948~1964) 福岡高校スタート・男女共学
● 昭和23(1948)年4月1日,新制福岡高等学校がスタート。同22日には生徒会発足。10月,福高として初めて
の体育祭・文化祭を開催。
● 昭和24(1949)年4月1日から男女共学スタート。女子バスケット部・女子バレー部が誕生した。
● 部活動隆盛へ。ラグピー部・硬式庭球部・籠球部・拳闘部・陸上部・剣道部等が繰り返し全国大会に進出し,優勝
するなど大活躍した。
● 昭和32(1957)年5月,創立40周年記念式典。親善試合や記念演奏会等が行われた。33年1月,40周年記
念図書館落成。
第6回国体(広島)男子高校バスケット優勝
第5回に続いて2年連続(昭和25・26年) |
硬式庭球部大活躍
全日本府県対抗高等学校庭球大会
全国高等学校選手権大会など
昭和26年度に計4回優勝  |

合格者発表は手書きの紙を石蔵酒造の壁にはって行っていた |

第7回文化祭 正門前の飾り |

同窓生で唯一のオリンピック出場の米倉健司さん(高5回)
昭和31年11月メルボルンオリンピックに |
40周年記念図書館 70周年まで30年間使用 |
昭和40年~昭和51年(1965~1976) 創立50周年を期に大変革
● 昭和40(1965)年,体育祭で鉄パイプのスタンド登場。41年7月,講堂兼体育館落成。
同10月,福高研修学園と食堂落成。玄関のロータリーにフェニックス。
● 昭和42(1967)年2月,生徒が誓約書を提出する条件で長髪が許可される。同5月,創立50周年記念式典。
● 親しまれてきた潟洲町-1の番地が堅粕1丁目29-1に変更。昭和45(1970)年7月1日から。
● 昭和46(1971)年1月,ラグピー部は全国大会最多出場校として表彰される。
軟式・硬式庭球部・ヨット部・陸上部等も全国大会で活躍。
講堂兼体育館 |
福中大火に残った武道場も使命を終え解体
(昭和43年7月) |

体育祭 |
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新しい帽子がうれしそう
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文化祭風景 |
昭和52年~昭和63年(1977~1988) 長かった昭和も終わりに
● 昭和52(1977)年5月,創立60周年記念式典。校歌石碑が除幕披露される。記念事業としては,運動場の
拡張・整備,講堂の改修,中庭に仮設で教育指導室,会議室を作る。
● 昭和55(1980)年7月,1年生全員参加による初めての九重キャンプ教室を実施。
翌56年3月志賀高原スキー教室開始。
● 昭和59(1984)年1月,寒稽古始まる。3月,初めての通学路清掃活動(現在の学校周辺感謝デー)を実施。
● 昭和62(1987)年5月,創立70周年記念式典。創立70周年記念図書館・福高記念館落成。
九重キャンプ
高宮乾一初代校長の肖像画。図画担当
杉江春男先生の昭和4年の作。その後美
術担当の津田克己先生による丹念な修復
を経て,現在も講堂に掲額されている。 |
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中庭に建てられた校舎 60周年記念文化祭 |
 
昭和54(1979)年2月,69年間市民の足として親しまれた市内路面電車が全線廃止となる。 |
 
新築プール(昭和56年3月) 高速1号線の工事中(昭和61年頃) |
 
70周年記念 福高記念館 大掃除 ワックスがけ(油雑巾で) |
平成元年~平成8年(1989~1996) 平成に入って新生福高
● 平成2年(1990)年~6年の4年間にわたり実施された,校舎の大規模改造工事も終わり立派になる。
学校週5日制,平成4年9月から月1回,平成7年4月から月2回実施。
 
旧体育館あとに多目的ホール(コモンホール)できる |
 
懐かしい旧体育館 志賀高原スキー修学旅行(平成7年3月25日) |
 
正門門扉除幕式(平成7年5月11日) 福高祭(中庭の野点) |
平成9年~平成18年(1997~2006) 新世紀にはばたく
● 平成9(1997)年5月31日,6月1日,創立80周年記念第50回福高祭実施。翌週には記念式典を挙行。
● 平成11(1999)年3月31日,福高パティオ(中庭)の最終工事が完了。
● 平成12(2000)年3月5日,定時制課程を閉じる。
● 平成13(2001)年2月28日,千代グラウンド整備工事竣工。
● 平成17(2005)年3月20日,福岡県西方沖地震発生。施設に多少の損傷が生じるも本館はびくともせず。
 
創立80周年記念第50回福高祭 入場門 「学校周辺感謝デー」に出発
 
体育祭 芸術鑑賞(能楽)

通学路にある菓子舗前にて 新しい中庭から卒業生送り出し

早朝からの寒稽古 |

スキー修学旅行(学校応援) |

福岡県西方沖地震で窓ガラスが割れたビル |

地震で倒れた灯籠(本校玄関横) |
(以上,創立90周年記念誌より抜粋)
平成19年~現在(2007~ ) 創立百周年に向けて
● 平成19(2007)年3月27日,弓道場竣工。同6月9日,創立90周年記念式典挙行。
● 平成21(2009)年3月エレベータ設置,同8月各教室に空調設置。
● 平成22(2010)年12月,ラグビー部が28年ぶりに全国大会(花園)に出場。
● 平成24(2012)年3月26日,本校校舎が福岡県有形文化財に指定される。
正門横に新しくできた弓道場
全国高校ラグビー大会出場 |
アンジェラスの鐘(高2回生寄贈)復活
鐘を鳴らして卒業生が巣立っていく |

現在の福岡高校
嘯月会の歩み(定時制) 大正12年~平成12年(1923~2000) 77年間続いた夜学の灯
● 大正12(1923)年4月14日,因幡町大名尋常小学校校舎の一部を借りて,私立福岡夜間中学校開校。
昭和2(1927)年3月12日,第1回卒業生31名が巣立つ。
● 昭和4(1929)年4月,福岡男子高等小学校(小烏馬場)に校舎移転。
● 昭和8(1933)年4月19日,福岡県福岡夜間中学(校舎は潟洲町福岡中学校使用)の開学式および
第1回入学式挙行。
● 昭和23(1948)年4月1日,学制改革により県立福岡高等学校夜間課程となる。翌々年には福岡高等
学校定時制課程普通科と改称。
● 平成12(2000)年3月5日,第52回卒業証書授与式,定時制課程普通科閉課程記念式典挙行。
卒業生総数は6,050名を数える。
夜間中学の創立の時から多大な貢献をされた6人のお母さん |
 
校歌歌詞と校歌の歌詞が刻まれた定時制校歌記念碑(平成9年2月除幕式) |
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嘯月会の由来と活動について
奥田 喬(昭和10年卒)
昭和8年4月に私立福岡夜間中学が県立になったのを機会に「校友会誌」の名前が全生徒から募集され,「嘯月会」が当選して命名された。以来平成12年3月の閉課程に至るまでの68年間に52号が発刊された。
では「嘯月」とはどのような意昧を持つのかを述べたい。月影ふみて学び舎へ通うわれわれ夜学生にとって「月」は極めて親しい心の友である。ある時は慈母のように,ある時は厳父のように,心を慰め励ましてくれる存在である。しかし,苦学を達成するためには不撓不屈の精神が肝要である。
中国の書「孝経序」の中に「虎嘯而風起(虎嘯いて風起こす)」とある。また「虎は一日に千里を往き千里を還へる」という諺もある。この虎の姿のように「月に嘯いて千里を走る不屈の闘魂」こそが苦学生に不可欠のものである。「月に嘯く」という言葉が漢文式で「嘯月」となったのである。
翻って本校の歴史を顧みると,大正12年4月に「私立福岡夜間中学」として開校された。昭和8年4月に県営に移管され「県立福岡夜間中学」・「県立博多中学」・「県立博多中学校」となり,昭和23年4月に,「県立福岡高等学校定時制」となった。開校以来5回も学校名が変遷しているため統一された同窓会は無かった。このため昭和25年8月6日に開校以来の卒業生全部を包含した同窓会の創立総会が開催された。爾来,平成18年4月まで57年間,1回も休会することなく総会は開催された。この間,学校創立記念の,30周年・40周年・50周年・60周年・70周年の記念として同窓生に寄付金を呼びかけて集まった浄財は,学校の設備や在校生の活動資金として活用された。中でも昭和62年5月に竣工した,「福高記念館」の建設基金への寄付金募集には多大の賛同を得て,500名の有志より集められた700万円を寄贈した。金額は多額でないとはいえ,卒業生が抱く母校愛の具現とも言えるであろう。
同窓会名は創立以来「福中・福高定時制同窓会」として運営されたが,昭和60年6月6日の総会で「嘯月会」と改名された。しかし,その実態に何らの変更はない。なお,平成12年3月をもって,福高定時制課程は閉課程となって授業は停止された。しかし,過去の歴史の存続と将来への継続の為に福高全日同窓会に合併して「嘯月部会」という名のもとに全日同窓会名簿にも全員登載されて活動することになった。定時制同窓会としての「嘯月会部会」はそのまま活動を続けている。
思えば,昭和8年5月に誕生した校友会誌「嘯月」が絶えることなく発刊され,あるときは「東京嘯月会」の名に冠せられ,さらに本校の同窓会名「嘯月会」に承継され,さらに平成12年3月の閉課程記念誌の題名に「月に嘯く」がつけられてその最後を飾ったが70数年の命脈を保ちながら今もなお生き続けていることに深い感慨を覚える。
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